職縁社会は、地縁社会の延長でしかない

血縁社会も地縁社会も、かつては「生きるための共同体」であった

 

血のつながった者同士や、同じ地域に住む者同士で、協力して助け合わねば生きていけなかったから、様々なルールが発明され、定着していった。

 

ところが職業選択の自由や、移動の自由が認められると、地縁社会は急速に拘束力を失っていく。

 

というのも、地域で結束する必要がなくなったからだ。

 

何も生まれ育った土地で窮屈に生きなくても、自分で職業を選び、住む場所を選べるのだから、自立心旺盛な人ほど、制約の多い地縁社会から離れていった。

 

その一方で、地縁社会のルールは、職場のルールへと受け継がれていった

 

職場のルールとは、仕事をするためのルールであり、売り上げや利益という成果を求めるためのルールである。

 

これは村で年貢を納めるために作り上げた地縁社会のルールに近いモノだったと言うことだろう。

 

だから村での助け合いや祭り、共同作業の延長で上司の引っ越しの手伝いに駆り出されたり、仕事の後に仕事仲間で集まって酒を飲んだり食ったり、慰安旅行と称して仕事仲間で旅行に出かけたりした。

 

かつては企業で運動会をやることも珍しくなかったが、これらも地縁社会で行われていた行事や祭りを、職場に持ち込んだものだろう。

 

企業の行事は全員参加が建前で、参加しないとなんだかんだ言われたものだが、これらも地縁社会の全員参加ルールのデッドコピーだ。

 

なので少し前には地縁社会をもじって、社縁社会だとか職縁社会などという風に言われたものだが、高度経済成長が終わってデフレになったら、大企業でも倒産したり、リストラが行われるようになり、職縁社会のルールも拘束力がないものになっていった。

 



機能性共同体

地縁社会のルールは、あくまでその土地で生きていくためのルールであり、普遍性を持つものではなかった

 

なので人々に職業選択の自由や、移動の自由が認められて、実際に人々が自分で職を選び、住みたい場所に住むようになると、強制力や拘束力が失われた。

 

同様に職縁社会のルールも、その職場で働きつづけるためのルールであり、有能な者がどんどん転職する時代になると、強制力も拘束力も、やはり失われていった

 

これは産業社会が成熟化・サービス化したせいでもあり、社会が情報化したせいでもあるだろう。

 

工業社会であれば、大きな資本(機械や土地)が必要でそれを用意できる者が限られていた。

 

だから多くの人が資本力のある大企業の元に集まったし、大企業に部品などを供給する工場でもたくさんの人が働いた。

 

工業社会のキーワードは、未来学者アルビン・トフラーによると

  • 標準化(規格化)
  • 専門化(分業化)
  • 同時化(同期)
  • 集中化
  • 規模の極大化
だということだが、これは決まった場所で、決まった時刻に集まって、手分けして規格化された生産を行うということであり、江戸時代の農村の共同作業をイメージしてみれば、生産量の規模や分業の程度は違うけれど、地縁社会のルールが適用できたのも当然だろう。

 

ところが工業の生産性が上がると、逆に人手がどんどん必要なくなり、人余りが生じた。

 

また企業間競争が激しくなったことで、競争に敗れた企業はリストラを行って生き残りを図ったり、生き残りに失敗して倒産し、失業者を出すようになった。

 

そのため、従業員は雇われている企業に忠誠を誓っても、いつ職を追われるか、職がなくなるかという状態になったので、職縁社会のルールも強制力がなくなったわけである

 

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