血縁社会でも地縁社会でもなくなった日本
江戸時代まで、大多数の人間は、生まれた土地にずっと住み続けていた。
江戸や大坂、京都などの商業地域では、多少の違いもあっただろうが、当時の日本人にとっての生存空間は、生まれ育った地元だけであり、狭い地域クラスターが所属クラスターだった。
この狭い地域クラスターのメンバーは、何代も前から全てが知り合いであり、知り合いの知り合いも殆どがその土地に住む者で、非常に固定的なクラスターであった。
ところが徐々に人々の活動範囲が広がり、明治維新を経て移動の自由が認められると、生まれ育った地域から出て都会に出てくる人も増え、地域外クラスターでの活動が増えた。
さらに鉄道や道路が整備され、バスや電車で職場に通うようになると、仕事は変えないが、住む場所を変える人も増えた。
こうなってくると、どこに住んでいても、地域コミュニティには属さない人間が増え、隣近所に住んでいる人の顔も知らないのが普通になる。
つまり江戸時代以前にあったような、封建的で固定的な地域クラスターは消滅し、地域に根ざさない生き方が当たり前になったわけだ。
血縁関係を中心とした社会を血縁社会、住んでいる場所を中心とした社会を地縁社会(ちえんしゃかい)と呼ぶが、日本はもはや、血縁社会でも地縁社会でもない社会になったのだ。
血縁社会の掟とは
現代日本は、血縁社会でもなく、地縁社会でもない社会である。
ではそれはどんな社会なのかというと、実はよくわからない。
一時期は、会社が中心になる社縁(職縁)社会だと言われていたし、今は無縁社会なんて言葉もあるようだ。
これでは手がかりがないので、かつて存在したという血縁社会と地縁社会について、簡単にまとめておくことにする。
まず血縁社会というのは、血のつながった同族で集まって助け合う社会のことだ。
助け合うと書くと美談のようであるが、これは掟であって背くことはできない。
たとえば中国や韓国は血縁社会なのだが、これらの国では結婚しても名字は変わらない。
というのも血縁社会では、生まれたときの姓は変えられないモノだからだ。
中国の建国の父で「国父」と呼ばれる、孫文(そんぶん)の結婚した相手は宋慶齢だが、結婚しても欧米や日本のように、「孫慶齢」にはならない。
孫文はあくまでも「孫一族」のメンバーであり、奥さんの宋慶齢はどこまで行っても「宋一族」の人間で、奥さんが「孫」のメンバーになることは一生ないのだ。
こういう血縁者の集団を宗族(そうぞく)や本貫(ほんがん:出身地のこと)などと呼ぶが、同じ宗族や本貫の者には最大限の支援を与える一方、部外者にはびた一文も出さない。
「同姓めとらず、異姓養わず」と言って、同じ名字の相手だと、血縁関係がなくても結婚してはいけないし、別の名字の者に援助したり、養子にしたりしてはいけないのだ。
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