人間はネットワークの中で生きている
人間はネットワークの中で生きている。
ネットワークというのは簡単に言うと、網目状の人と人とのツナガリのことだ。
人間はこのネットワークを使って、様々な情報のやりとりをしている。
たとえば親子3人の家族を例にとると、父親と母親とのツナガリがあり、父親と子供とのツナガリがあり、母親と子供とのツナガリがあって、3角形のネットワークを作っている。
だから子供は父親に直接言いにくい時、母親を通して言ってもらったりする。
逆に母親は子供を叱るとき、父親を使って叱ったりする。
これは直接のツナガリでは解決しなさそうなことを、ネットワークを通して解決しようとしているわけだ。
一方、父親には家族以外の知り合いもいて、職場で会う人々や趣味の集まりで会う人々とつながっている。
同様に母親にも家族以外の知人がおり、つながっているし、子供は子供で学校や近所の友達とつながっている。
これらのツナガリを線で表すと、ものすごい数の線が現れ、とんでもない数の人間のツナガリがあることがわかる。
これがつまり、我々人間が暮らしているネットワークってことだ。
ただし人間のツナガリには強弱があり、疎密(そみつ)がある。
強弱とは「強いツナガリ」か「弱いツナガリ」かということであり、疎密とは情報交換の頻度が少ないか多いかだ。
強いツナガリとは簡単に言うと、何年も会っていなくても、時間を割いたり金を貸しあったりできるツナガリだと思えばよい。
そして弱いツナガリとは、毎日のように会っていても、時間も割けないし金も貸せないような関係をイメージすればいいだろう。
ツナガリの強弱は、クチコミにはあまり関係ないので省略するが、問題はツナガリの疎密である。
ネットワークとは、つながってはいるが見えないモノ
誰かを起点にして、人間関係をすべて図にすると、とんでもない数の人間が連なっていることがわかる。
これが我々人間が暮らす巨大なネットワークである。
ところが普段、我々は、そんな巨大なネットワークの中で生きているとは感じない。
というのも自分が直接つながっている人が、他の誰とつながっているかはわからないし、さらのその先のツナガリとなると全くわからないからだ。
つまりネットワークとは、つながってはいるが、どうつながっているかは見えないモノで、知り合いの知り合いについては、知らないというのが普通なのである。
またネットワークには疎密があって、疎遠なツナガリと、密接なツナガリがある。
密接なツナガリとは、メンバーそれぞれが互いに直接つながっていたり、情報が頻繁に流れてくるようなツナガリ方である。
こういう密接なツナガリの塊を「クラスター」と呼ぶ。
クラスターとは、ブドウの房のような集まりのことで、ここでは「特定の情報をたくさん共有する人々の集まり」のことだ。
たとえば家族の場合は、多くの時間を共有し、多くの知識や財産も共有していると考えられるから、規模は小さいけれど、立派なクラスターだ。
また職場では数人から数十人の人間が互いに知り合いであり、仕事に関する様々な情報を共有しているので、「職場クラスター」が出来ている。
さらにデザイナーやコンピューター技師など、専門知識が必要な人の集まりもクラスターを作るし、趣味の集まりや地域の集まりでも、クラスターができる。
人間はこれらの複数のクラスターに属しつつ、複数のクラスターを行ったり来たりしながら暮らしていているわけだが、大事なことは、知っていることと言うのは殆ど全て、自分の属するクラスター内の情報だけだということである。
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