血縁社会は抜けられない

中国や韓国などの血縁社会は、血のつながった同族が団結し、助け合って生きる社会である。

 

助け合って生きる社会と書くと、なんかものすごく良いようにみえるが、これは掟であって、抜けることは許されない。

 

つまり自分の姓を変えることはできないし、他姓の者より自姓の者を優遇しなければならない

 

血縁社会では、一族の利益を優先するのが「人の道」であり、身内と他人を平等に扱うことなど言語道断である。

 

だから血縁社会は、血のつながった同族には優しいが、他人には冷たい社会であり、公衆道徳や公益は二の次、三の次になる。

 

公害垂れ流しや有害物質入りの食品を売っても、従業員を過酷な状態で働かせても平気なのはそのせいだろう。

 

地縁社会であれば、こんなことは許されないが、血縁社会では、一族の発展に貢献すればよいのである。

 

そして一族の誰かが出世すると、みんな集まってきて富を分け合うことになる。

 

同族であれば助け合うのが掟だから、成功者に群がるように同族が集まってくる

 

韓国や台湾では、歴代大統領や総統の親戚や本人が後に汚職などで逮捕されて投獄されたりするが、これも血縁社会の掟を守ったがために起こることだ。

 

つまり為政者が自分の親戚に利益誘導するのが「人の道」であり、親戚を差し置いて他人に利益を譲るのは「人の道を外れる行為」なのだ。

 

その親戚の悪行によって自分も投獄されてしまうのも「人の道」で、これが血縁社会というものである。

 

血縁社会のルールは、現代の市民社会のルールや掟、あるいは民主主義のルールと異なっているので、血縁社会のルールを守ると、こういうことが起こってしまうのだ。

 



血縁社会は甘えの社会 地縁社会は厳しい社会

血縁社会とは、血のつながった者を優遇し、同族の発展に貢献するのが掟の社会だ。

 

血縁社会に住む人間が気にするのは、常に同族からの目であり、他人は関係ない。

 

同族は助けるのが掟であるし、逆に困ったら同族に助けを求めれば良い。

 

だからこそ一族の中から成功者が出ると、同族がそこへ集まって富を分け合おうとして貪るから、韓国の大統領や台湾の総統などは、身内に引っ張られて後に汚職で逮捕されたりするわけだ。

 

変な話、血のつながりさえあれば誰かに頼れるわけで、そう考えると血縁社会というのは、無能でも生きていける、甘い社会なのかもしれない。

 

韓国語には、甘えるという意味の言葉がたくさんあるとか言うが、血のつながりさえあれば、甘えで利益を引き出せるってことだろう。

 

逆に、地縁社会とは、責任を問われる社会である。

 

地縁社会の掟は「平等(の責任)」と「連帯・団結」であり、それぞれが自分の分担する役割を果たし、有事の際には連帯・団結して村を守ることが求められる。

 

地縁社会において「平等」とは平等の責任を負うということであり、平等な責任を負い団結するために、平等な分配が行われる。

 

たとえば江戸時代の日本の農村では「割地(わりち)」「割替え(わりかえ)」という方法で、農地が分配されていた地域がたくさんある。

 

これは、村の土地を分割して村民に割り当てて、村人は割り当てられた土地を耕すという方法だ。

 

どういう風に割り当てるかというと、まず田圃や畑を、1日で耕せるくらいの大きさに分割する(割地・地割り)。

 

次にそれぞれの田圃や畑の善し悪しに、点数などをつけて評価をする。

 

さらにこれらを収穫量が同じくらいになるように、組み合わせる。

 

たとえば一番良い田圃と一番悪い畑、二番目に良い田圃と二番目に悪い畑、という風に。

 

最後にどの組み合わせを誰が耕すかは、話し合いやクジ引きなどで決め、何年かするとまた割り当てをやりなおす(割替え)。

 

こうやって村に割り当てられた年貢(租税)を、平等に負担しようというわけである。

 

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