インターネットは、弱いツナガリを育てる。

現代社会は、外部とやりとりすることで成り立っている社会である

 

伝統的な地縁社会というのは、地域内に生活のための殆どがあり、外に出る必要がさほどなかった。

 

今みたいに道路が整備され、トラックが毎日モノを運ぶわけじゃないので、生活物資が揃っている場所でなければ、そもそも集団で住むことはできなかったのだ。

 

だからこそ人はそこから逃げられず、「強いツナガリ」に人は支配されていた

 

外の世界では自分の身を守ってももらえないし、飯にも仕事にもありつけなかったから、強制的な地縁社会のルールや、親などの大人や有力者たちの理不尽な要求に従わざるを得なかったのだ。

 

ところが、水も出ないような場所に水を引き、食料も外部から運んで住むのが当たり前になると、外部との物資のやりとりのみならず、知識や技術も外まで学びに行くようになった。

 

さらに交通機関が発達したおかげで、毎日電車やバスに乗って、外に働きに出るのも当たり前になった。

 

その結果、地縁と結びつくことが多かった職縁は、全く別のクラスターとして存在するようになり、人は複数のクラスターに所属して生きるようになった。

 

強制的で拘束的だった「強いツナガリ」は、次第に複数の「強くないツナガリ」に置き換わり、それがまたさらに複数の「弱いツナガリ」に置き換わっていった。

 

特にインターネットの普及と情報化によって、「弱いツナガリ」が爆発的に増えた

 

情報社会では、「誰でも発信者になれる」「情報は、ネットであっという間に届けられる」「デジタル化したモノは、いくらでもコピーでき、劣化しない」「さらにコピーされたモノは、1部あたりのコストが殆どゼロになる」などといった特徴によって、今まで全く縁もゆかりもなかった人同士が結びつき、瞬く間に情報交換が行われ、縁が結ばれるのだ。

 



面識のない者同士でも、簡単につながれる社会

インターネットの発達とコンピューターの普及によって、情報のやりとりは革命的にたやすくなった。

 

ネット環境とパソコンさえあれば、一回あたり数十円から数百円もかかった電話料金などの通信費は、ほぼゼロになった。

 

またカタログやマニュアルなどの印刷代がかさむような冊子も、デジタル化してPDFファイルにすれば、いくらでもコピーが作れるようになったし、いくらでも配布することができるようになった。

 

この恩恵は企業だけでなく個人にも及んだ

 

すなわち、インターネットのホームページやブログでは、自分の思っていることや考えていることを自由に公開できるようになったし、自分の撮った写真や動画、音楽や文章などの創作物や、便利なツール(プログラム)なども公開できるようになった。

 

雨後の竹の子のようにできた掲示板や質問サイトでは、困っていることを相談できたり、アドバイスしてあげることができるようになった。

 

また商品比較サイトでは、多種多様な商品の比較がなされ、購入前に多くの人のクチコミを参照できるようになった。

 

さらにツイッターやフェイスブック、グーグルプラスといったSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)が広まり、携帯電話からでも利用できるようになったため、ちょっとした情報でも、知り合いにすぐ知らせることができるようになった。

 

デジタル化された情報は、いくらでもコピーできるため、インターネット上に上げられた情報、動画やプログラムは、興味深ければあっという間に世界中に拡散されるようになった。

 

SNSの登場によって、年齢も性別も、学歴や職種も、住んでる場所も全く異なる、一面識のない者同士でも、簡単につながれるようになった

 

こういうツナガリ方は、非常に弱いツナガリ方であるが、やりとりされる情報は高度な情報であり、有用なモノも多い。

 

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