できるやつはどんどん転職し、独立する時代
血縁社会や地縁社会、そして職縁社会を振り返ってみると、これらは「助け合いを強制する仕組み」である。
血縁者を強制的に巻き込むのが血縁社会のやり方であり、地域や職場にいる人間を囲い込むのが、地縁社会や職縁社会のやり方だ。
その基本的なやり方は、メンバーに他に行く選択肢がないことを利用して独自のルールを強制するというやり方だった。
かつては属するグループにいるのが嫌だからと言って、他のグループに移ることは難しかった。
そして所属グループを出ると誰も守ってくれないし、グループを抜けるとは浮浪者やアウトローになることを意味した。
なので目上の者や実力者が有利な決まりになっていても、理不尽で不平等なルールを押しつけられても、それに従わざるをえないのが現状だった。
ところが自由に職業を選べ、自由に移動できるようになると、そういう嫌なことや理不尽なルールに、必ずしも従う必要はなくなった。
地域が嫌なら他の場所に引っ越せばよいし、職場や仕事が嫌なら別の職場や仕事を探せばよくなったのだ。
そうして自分を大事にする人々や、自立心旺盛な人々は、自分に合った地域を探して引っ越しをし、自分に合った仕事や職場へ転職するようになった。
有能な人やクリエイティブな仕事をする人も、堅苦しく理不尽なことが多い職場では実力が発揮できないから、独立して自分自身の納得がいくような仕事や働き方を始めた。
個人でも不自由なく生きていける時代になると、血縁・地縁・職縁などの強制的な仕組みは拒否され、自分で「縁」を選んで生きる人が増えるわけだ。
子供に見捨てられる親が増えるわけ
血縁にも地縁にも縛られなくなった現代、人々は自分で選んだ「縁」で生きていく社会になった。
人との出会いは全て「縁」であり、その縁を大事にするかしないかで、後々の自分の生活が変わってくる。
たとえ自分の子供であっても、縁を大事にして育てていなければ、年老いてから面倒を見てもらえなくなる。
親と子という強制的なタテ関係があることを悪用し、子供の夢ややりたいことをことごとく潰してきた小賢しい親は、悪縁だと判断されて子供から縁を切られるのだ。
逆に血のつながらない赤の他人であっても、縁を大事にしてつきあえば、何かの時にいろいろ力になってくれる。
赤の他人とのつきあいというのは、基本的に上下関係がない対等なつきあいであり、連帯感をともなったつきあいになりやすい。
というのも、わざわざ嫌なやつとつきあわないといけない理由はないからね。
たとえば学生時代の友達や同じクラブのメンバー、趣味サークルでの知り合いや、飲み屋の常連など。
もちろん多少の利害関係があってもかまわない。
今やインターネット上にたくさんコミュニティがあり、同業種であっても地域的にバッティングすることがなければ、忌憚ない情報交換も可能になるし、また業種特有の悩みを相談し合うことも可能だから。
お金の貸し借りは難しいかもしれないけれど、「貴重な情報」は、こういうコミュニティから得ることができる。
このように強制的なしがらみや悪縁を絶ち、自分で良縁を選ぶことによって、人生が全然変わってくる時代になったわけだ。
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