地縁社会は、平等に責任を負う社会

地縁社会というのは、血縁社会と違って能力や責任を問われる社会である

 

血縁社会では、血がつながっていれば、助け合わねばならない社会であるから、能力や責任感がないという理由で、一族を追い出されることはない。

 

一族に成功者や金持ちがおれば、そこへ行って世話になれば良い。

 

「異姓養わず」(他人の面倒は見ない)とは言うが、同姓は養わねばならないからだ。

 

しかし地縁社会では、能力や責任を問われるし責任を果たさなければ仲間はずれにされる

 

というのも地域社会では様々な作業を分担し、連帯・団結して事に当たる必要があるからだ。

 

たとえば江戸時代の農村では、年貢(租税)は村に割り当てられた。

 

この年貢を納めるために、村では、用水路を管理したり、里山や萱場(草刈り場)などの入会地(いりあいち)を村人で共同管理した。

 

村に課せられた年貢をきちんと収穫するには、水の管理や肥料採取場の管理が重要で、村人全員の協力が必要だったからだ。

 

こういう風に皆で協力して作業にあたるためには、不平不満が出ないように工夫しなければならない。

 

共同作業で働いたのに、分け前がないなら誰も働かないし。

 

そこで多くの村では、田畑などの耕地を細かく分割して、収穫が均等になるように組み合わせて、それを話し合いやくじ引きなどで村人に割り当てた。

 

また数年かたつと村人の数が増えたり減ったりするし、耕地の出来不出来などの状況が変わってくるので、何年かごとに割替え(わりかえ)と言って、再度割地を行って、話し合いやくじ引きなどで耕地を割り振った。

 

つまり年貢を納めるために共同作業が必要で、共同作業で不満が出ないように、村人に均等に田畑を割り振ったというわけだ。

 



村八分

江戸時代の農村では「割替え」といって村の農耕地・田畑を、細かく分割して、収穫が均等になるように割り振ったりした。

 

こうやって均等に農地を割り振ると、実は生産性(効率)はあまりよくない。

 

というのも割替えで土地を割り振ると、耕す土地が細かいうえに四方に散らばってしまうので、管理が面倒になるからである。

 

また、数年ごとに再割り換えを行うので、耕している土地の土作りに力が入らないということも起こる。

 

割り当てられた土地を一生懸命手入れしても、来年以降に耕すのは別の村人になってしまうから、土地に資材を投入しなくなり、作物の出来もさほど良くない。

 

だから生産性の観点から見ると、割替え制度というのはあまり良くない方法で、明治時代になって農地が農民の私有物になると、農地整理が行われるようになった。

 

耕していた農地が自分の所有地になると、バラバラに散らばっていて面倒なので、大きな農地にまとめる作業を、行わねばならなくなったほどである(換地、交換分合という)。

 

割替えという仕組みは、日本だけではなく、ヨーロッパでもあちこちで行われていた方法なのだが、村に割り当てられた年貢(税)を、村人が平等に負担するための工夫であり、あくまでも村人の和を保つための仕組みであったのだ。

 

だから村の共同作業をさぼると厳しくとがめられた

 

というのも誰かが共同作業をサボると、その分を他の村人がやらねばならなくなるからだ。

 

またきちんと農作業せずに作物が不出来だと、本人が困るだけではなく村の責任になるので、働かずにブラブラしていると怒られた。

 

さらに重要な取り決めに従わない村人は、村のメンバーとして扱われなくなり「村八分」にされた。

 

村八分になると、冠婚葬祭にも参加できないし、萱場(かやば)や入会地(いりあいち)・里山などといった、共同管理の土地も利用させてもらえなくなり、事実上、地縁社会から追い出されることになった。

 

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